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□ いの健ニュース


第34号(2011年3月25日発行) ※PDF版はこちら

事務局長の体調不良により3ヶ月間もニュースが途絶えていたことをお詫び申し上げます。

震災被災者のみなさんに心からお見舞い申し上げます

大震災から早くも2週間が過ぎたというのに、避難所の状況を見ても、被災地の実情を見ても、深刻な事態は何ら変わっていません。一刻も猶予のできない状況も広がっていますし、原発事故がさらに混乱と困難を増幅させています。
3月の下旬になっても氷点下の日が続き、雪が降る日さえあるという厳しい気候の中で、被災者の健康問題が一段と深刻化しています。暖房も食糧も不十分なまま、行動したくてもガソリンさえ手に入らず、入院先で命を落とす高齢者が続発する事態はまさに「深刻な非常事態」です。
石巻の大川小学校では107名の児童のうち84名、13名の教員のうち10名が津波の犠牲(行方不明者も含む)になったと報じられています。気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町、若林区荒浜地区、名取市閖上など甚大な被害に遭いながら、まだその全貌をつかめないままになっているところも少なくありません。
多くの学校が避難所になり、教職員の多くが救援活動に当たりながら児童生徒の安否さえつかめていないところも数多く残っています。教職員自体が被災者であるにもかかわらず、県教委の人事異動によって混乱が増しているとも聞きます。
いの健センター所属団体にも家族や親戚の方を失ったという人が少なくありません。それでも、それぞれの団体が、地域や職場で可能な限りの支援活動、復旧活動に立ち上がっています。復旧にも大変な時間と労力を要すると思いますが、県労連や民医連を先頭に加盟各団体の役員が「このような緊急事態だからこそ」の思いでがんばっていることに心から敬意を表します。
被災者はもちろん、救援に当たる人々も含め、困難な中で立ち上がろうと努力しているすべての方々のいのちと健康を守るために、宮城県センターとしても行政への働きかけや全国センターを通しての支援の訴えをしています。引き続き、各団体のみなさんと共にがんばりたいと思います。

大泉事案事務局長の猪又先生も犠牲に

宮教組の公務災害認定闘争事案(大泉教諭の過労自死事案)で支援団体の事務局長を務めていた、宮教組迫支部書記長・南三陸町戸倉中学校教諭の猪又聡先生も今回の津波の犠牲になった一人です。
地震発生と同時に地域住民が学校の校庭に避難してきました。猪又先生はその方々の車の誘導・整理に当たっているうちに津波に巻き込まれ命を落としたものです。
以下、「民主教育をすすめる宮城の会」ニュースに掲載された新聞記事を紹介します。

将来は理科の先生に宮城・南三陸町、恩師失い誓う生徒(2011年3月20日北日本新聞)

大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。津波は須藤望さん(15)が通う町立戸倉中学校にも押し寄せ、理科の教師猪又聡先生(43)をのみ込んだ。「どんなにいい先生か、いなくなって分かった。もっと話がしたかった」
卒業式の前日だった。「卒業アルバムに何か書いて」と手渡すと、猪又先生は「LOVE&PEACE」と記した。その直後、大地震が襲った。
先生は率先してグラウンドに避難してきた住民の車を誘導していた。だが、津波は高台に建つ中学校まで到達。濁流が避難してきた人や車を流し去るのを目の当たりにした。先生は後日遺体で見つかった。
授業は難しく、何を話しているのか理解できない時もあり「正直あまり好きではなかった」。
ところが先生の死後、別の教師から「猪又先生はおまえのことずっと気に掛けてたぞ」と伝えられた。避難所で布団に顔をうずめて泣いた。
思い起こせば、進路の相談はもちろん、何でも親身になって聞いてくれる「アツい先生」だった。「もう少し素直になってもいいんじゃない?」と言われたことがある。「どういう意味か聞く前に亡くなった」
隣の登米市の避難所で生活している。合格した高校とは連絡がつかず、これからのことをじっくり考える余裕もない。それでも新しい夢ができた。「猪又先生のような理科の教師になりたい」

宮城県公立校新学期来月21日人事、異例の兼務も(2011年3月20日河北新報)

宮城県教委は19日、震災の影響を考慮し、県立の中学、高校、特別支援学校の新学期の始業を4月21日にする方針を明らかにした。小中学校など仙台市立を含む全公立校が足並みをそろえる見通し。4月1日付の人事では、現在被災地に勤務し、異動対象となっている教職員約400人を20日ごろまで現在校と兼務させる異例の措置を決めた。
県教委は新学期に向けた準備が整うまで、さらに1カ月程度かかると判断した。例年より約2週間遅いスタートとなり、各校の判断で平日の授業を増やしたり夏休みを短縮したりして対応する。
人事の措置は、被災地に勤務する教職員が学校での避難所運営に携わっている点や、被災した児童生徒の心のケアの必要性を重視した。学校施設の被害が甚大で復旧作業が長期化する場合、各校の実態に応じ兼務期間を延長する。
さらに、被災地の学校で本年度末に退職する教職員を「緊急学校支援員」として任用。対象者約60人を7月ごろまで各校の復興支援に携わらせる方針も決めた。
新学期の開始時期をめぐっては、宮城県教職員組合(宮教組)と高教組が18日、県教委に「学校機能のまひは長期化が予想される」として新学期を5月の連休明けにするよう求める要請書を提出している。

両教組が提出している要求書

                                                         2011年3月22日
宮城県教育委員会
委員長大村虔一殿
教育長小林伸一殿
                                        宮城県高等学校・障害児学校教職員組合
                                                  執行委員長  佐藤 春治
                                        宮城県教職員組合
                                                  執行委員長  齊藤 重美

                    新学期の開始に係る再度の緊急要請

大震災の対策に昼夜分かたず従事しておられる教育委員会・教育庁の皆様に改めて感謝申し上げます。
さて、宮教組・高教組が18日に行った緊急要請で、新学期を5月の連休明けにすることや被災した学校の人
事異動を最小限にすることや24日に予定されている「人事異動の発表」を遅らせ、人事の再検討をすることな
どを要望しておりましたが、改めて要請いたします。
18日以降、両教組には、現場の教職員から次のような切実な声が相次いで寄せられています。
○「津波にあい、避難場所にもなっている学校です。人事異動凍結して下さい。『子どもを亡くし、クラスの子ど
もも行方不明。後片付けも終わらない。諸表簿にも全く手を付けられない。とても異動できる状況ではない』
と泣いている同僚もいます。親をまだ探し続けている講師もいます。新学期が4月21日という話だが、まだ不
明児童が12名いる。これで学級編成ができるのか。新採が2名来るようだが、地域にはアパートも何もない。
県教委は一度見に来てほしい。県教委は何を考えているのか」(石巻市の事務職員)
○「小学校教諭である夫が亡くなった。自分も石巻市内での異動を内示されたが、とても異動できるような状況
ではない。現在校の子どもたちのためにも留任させて欲しい」(石巻市の教員)
○「このような状況なのに予定通り18日内示というのは納得できない。」(仙台市の教員)
○「自分の学校の地域はあまり被害はひどくなかったが、被災地でなくとも子どもたちは今回の体験で不安に
おびえている。そのケアのためには現担任が引き続き子どもの面倒を見るのがベストだ。4月になって先生が
代わると子どもたちはますます動揺する。人事については今回は被災地だけの問題ではない。」(岩沼市の
教員)
○「避難者への対応や子どもの安否確認などで先のことを考える余裕がまったくないのに、なぜ4月1日付で異
動しなければならないのか。通信表や要録の作業にも手が付かない状態だ。兼務発令ではなく、安心して
現在校に勤務できるようにしてほしい」(東松島市の教員)
○「自宅が倒壊、流出した教員にとっては、異動どころではない。」(気仙沼市の教員)
このことからも、県内の教職員は、地域を問わず、担当する子どもたちのケアやサポートが引き続き必要であ
ると強く感じています。特に低学年の子どもほどケアが必要な状況となっています。また、避難所生活や家族を
失う苦しみの中で、家庭を顧みずに子どものケアに全力を注いでいる被災教職員の数も多数に上っていま
す。このような状況下、400名の「兼務発令」や60名の「緊急学校支援員」措置のみで十分でないことは火を見
るよりも明らかです。管理職からも「5月1日付の方が今の実態に合っている」という声が寄せられています。
福島県教委は教職員の人事を凍結し、5月1日付で辞令を発令することをいち早く決めています。また、宮城
県も仙台市も行政職については「人事の凍結」を決めているのになぜ、教職員だけ実施するのでしょうか。
行方不明の子どもや教職員が多い中での宮城県教委による人事異動の発表はやはり早計だったといわざ
るを得ません。ガソリン不足の問題だけではなく、車を流された教職員は、通勤手段も持ち合わせていませ
ん。
したがって両教組は、地域や学校が一定程度落ち着きを取り戻し、教職員が安心して教育活動に従事でき
る環境が整ってからの学校再開を望むものです。それが県内の子どもたちや保護者に対する責任ある対応で
あると考えます。
つきましては、以下のことを緊急に求めます。

                            記

1 行方不明の子どもや教職員の安否が確認されるまで4月1日発令の人事異動を一時凍結するこ
と。早くても5月1日付の辞令交付とし、それまでの期間は、県内すべての教職員が現在校に勤務で
きるようにすること。
2 家族の死亡や自宅が倒壊、流出した教員や被害の大きい地域の教員については、本人の希望を
再度聴取し、希望に沿った人事となるよう再検討すること。特に、本人が望めば「異動」を取り消し、
「留任」とすること。
3 新採者のみ4月1日付の辞令とすること。

赤坂事案、仙台高裁も不当判決!
遺族、弁護団は上告を決定

労働保険審「労災認定」の自殺二審も遺族側敗訴

仙台市宮城野区の派遣社員赤坂貴志さん(当時29)が勤務先の運送会社でうつ状態になり、自殺したのは過労が原因だとして、母優子さん(57)が派遣会社羽田タートルサービス(東京)と派遣先の佐川急便(東京)に約9300万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は8日、請求を棄却した一審仙台地裁判決を支持し、赤坂さんの控訴を棄却した。
石原直樹裁判長は「うつ病と認める的確な証拠がない。うつ病だとしても、業務内容が強度の心理的、身体的負担を及ぼしたとは認められない」と述べた。判決によると貴志さんは2000年7月、羽田タートルサービスに採用され、佐川急便配送センター(宮城野区)で午後7時から翌朝まで仕分け作業を担当。05年9月~06年2月(1月を除く)の残業時間は月69~103時間だった。貴志さんは06年3月、自宅で自殺した。
国の労働保険審査会は09年7月、貴志さんがうつ病で自殺したと認定した上で、業務上の理由による死亡だったと指摘しており、国と裁判所で判断が分かれた。(以上、河北新報記事より)
その後、遺族と弁護団と協議をし、現在最高裁に上告中です。

大泉事案の公務災害認定へ
『実現する会』結成

登米市の中学校の英語教員、大泉博史さんは自分の指導法や指導理念が効果を発揮できず、指導上の悩みを抱えていました。しまも、2年続け
て3年生を担任し、「荒れた状態」の生徒や他クラスから授業妨害に乱入する生徒への対応にも悩んでいました。
亡くなった日も他クラスの生徒が授業妨害に乱入したことで糸が切れ、自らの命を絶ってしまいました。1月以後「俺は生きたい!」と訴えながら3
度にわたって遺書を書いており、苦しみ抜いたあげくの自死だったことが分かります。
1学期から授業ボイコットが起きたり、「死ね!」という落書きや給食に薬物(?)が混入される事件などが起きていたにもかかわらず、学校としての組織的な対応を全く取らず、個人の問題にしたまま保護者にも一切相談することもなく手をこまねいた学校側の責任は否定できません。
10月31日に宮教組迫支部が中心になり「故大泉先生の公務災害認定を実現する会」が結成され、現在「地方公務員災害補償基金宮城県支部」に公務災害としての認定を申請中です。
「いの健宮城センター」はすでに支援を決定しており、支援団体に参加して公務災害として認定されるよう全力で支援します。

結成総会で挨拶するご遺族の大泉淳子さん結成総会に参加した60余名の支援者たち

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