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□ 被災者・遺族・支援者の闘い ”基金支部の公務外認定処分は失当”

季刊誌№40
※当ページは「季刊 働くもののいのちと健康 №40」 ­特集 被災者・遺族・支援者の闘い­ より記事を再掲載したものです。

著者:富樫 昌良(とがし まさよし)
働くもののいのちと健康を守る宮城県センター事務局長、同全国センター理事

 

元小学校教員、故高野啓さんの過労自殺で
基金宮城県支部審査会

 6月23日(火)に、夫の自死は過労死(公務災害)だと訴えていた遺族のもとに、地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会から「処分庁が平成20年4月9日付をもって審査請求人に対して行った公務外認定処分はこれを取り消す。」とする裁決書が届きました。

●「人間をやめたい!」
 啓さんは、2000年4月に転勤と同時に6年生の担任と初めての研究主任等を担わされました。転勤した年に6年担任と研究主任を同時に担うということは学校現場では殆ど考えられないことです。しかも当時は、教科書も指導資料もないままに「総合的学習の時間」が導入され、どこの学校もその準備に追われていました。
 啓さんは「大変だ、俺にはできない」と言いながら、連日深夜まで机に向かうようになりました。前任者からの具体的な引き継ぎもなければ、校内での援助も殆どないまま、一人で悩み苦しみ、転勤直後からうつ病を発症し、いつしか奥さんや元同僚に対し「学校やめたい」「人間やめたい!」と漏らすようになっていました。そして、転勤からわずか2ケ月後の6月11日に38歳の若さで命を絶ったのです。

● 基金支部が不当な「公務外認定」処分
 遺族(妻)は03年10月14日に基金支部に公務災害としての申請をしましたが、4年半も過ぎた08年4月14日、「公務外」の認定処分が出されました。
 その理由は「異動に伴い6年生を担任したとしても特に過重な職務とは認められない。異動に伴って初めて研究主任の職務に携わることが特に困難な状況であったとは認められない。通常の職務の範囲内のものであり、精神疾患を発症するほどの強度の肉体的、精神的負担だったとは認められない。時間外勤務について、自宅での作業時間はあくまで請求人の推測の域を出ない。質的にも過重な負担となるような自宅作業であったと判断することはできない。個体的要因である~うつ症状によってストレスを抱き、精神消耗を来たし、自分自身を責め~研究の進捗状況を正常に判断できない状況にあった」など、極めて事務的で無責任で冷淡な内容に終始しています。
 当初、基金支部は職務の過重性についても公務との因果関係についても、ほぼ全面的に認めていたことが開示された文書によって明らかになっています。また、請求人が要請した精神科医の意見書も、基金支部相談医の意見書も、「過重な校務負担によるうつ病が原因の自殺と判断するのが適当」としています。
 にもかかわらず「公務外」認定処分を行ったのは、基金本部の「医学的知見」を根拠にした圧力に無批判的に迎合した結果なのです。

●基金支部審査会の真っ当な判断
 遺族は08年6月10日に基金支部審査会に審査請求を行い、09年2月26日には弁護士や元同僚関係教員による意見陳述を行いました。陳述では、教育現場の深刻な労働実態や、転勤と同時に6年担任と初めての研究主任が重なったときの過量性について、それぞれの経験をもとに具体的に訴えました。
ご遺族と実現する会事務局メンバー 今回の審査会裁決の重要な意義は、請求人(妻)や参考人の意見に真率に耳を傾け、教育現場の実情を客観的に把握し、それをもとに以下のような結論を出しているところにあります。
1 総合学習の研究主任は「大規模プロジェクト」であり、初めての研究主任としての職務は「通常の職務に比較して特に困難な職務を命じられたと評価できる。」
2 自宅への持ち帰り仕事について「被災職員は6年生担任という業務多忙な学年を担当し、勤務時間内に研究主任としての作業をこなす時間的余裕は全くない状況だった。~被災職員が残した多くの資料は自宅において作成されたものであり、研究主任として当該資料作成のために連日長時間の作業を行っていたものと推認することができる。」
3 また、時間外業務についても「学校長は転任直後の被災職員に対し、~特殊な性格を有する研究主任を命じながら、学級担任を免除するような軽減措置も取らず、6学年という最も多忙な学年の担任を命じており、本来の業務時間でそれを全うすることができないことは明らかであった。~被災職員としては命じられた業務遂行のために自宅に仕事を持ち帰らざるを得ないのは当然であり、自宅残業についての客観的な資料が存しないのは学校長として部下教職員の業務実態の把握方法を講じなかった結果に過ぎない。」
4 「6年の新学期が如何に多忙かについての各参考人の意見は信頼できる」とし、「6年担任をしながら研究主任の業務を勤務時間内に遂行することは不可能なことは明らかで、”自宅の仕事部屋にいた時間”はほぼ研究主任としての業務に従事していたと推認できる。それは、週あたり28時間となり20時間を超えることは明らか」であり、「1ケ月程度以上の過重で長時間に及ぶ時間外勤務(週数十時間程度の連続)」だった。」と評価。
5 「一つ一つを分断して検討の俎上に載せれば(過重ではないと)言えるかもしれないが、有害事象は時として1+1を3にも4にもするものであり、(分断した)判断方法は木を見て森を見ないものと言わざるを得ない」と厳しく批判した上で、「総合すれぱ、人事異動などによる急激かつ著しい職務内容の変化があった」と認定。
6 そして、「個体的・生活的要因が自殺の主因ではない」とした上で、支部相談医等の見解をもとに「強度の肉体的疲労、精神的ストレスなどの過重な負担に起因する精神的疾患の発症であると医学経験則に照らして明らか」であり、「本件は公務に起因した自殺と認めるべきであるから、処分庁が請求人に対して行った公務外認定処分は失当であって取り消されるべきである」と結論づけたのです。
 見事な内容の審査会裁決ですが、ここまで来ることができたのは遺族の決意とそれを支えた宮城県教職員組合石巻支部を中心とした支援団体の存在、そして弁護団及ぴ関係医師の献身的な取り組みによるものであることを付記し報告とします。

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