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□ いの健ニュース


第22号(2009年11月12日発行) ※PDF版はこちら

高野事案、勝利報告集会

認定を勝ち取った喜びと、二度と災害を繰り返させない新たな決意みなぎる集い

石巻の元小学校教員、故高野啓先生の公務災害認定がなされた(7月16日、地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会)ことについてはすでにお知らせしましたが、去る10月31日に高野事案の勝利報告集会と「故高野啓先生の公務災害認定を実現する会」の解散総会が石巻市保健相談センターにおいて開催されました。

この集いには60名の方々が参加されましたが、そのうち「働くもののいのちと健康を守る宮城県センター」真壁会長と、長距離トラックの運転手だった夫の過労自死の労災認定を求めて闘っている早坂百合江さん、中学校教員の夫の過労自死を公務災害として認定するよう申請準備中の大泉淳子さんの感想を書いていただきましたので紹介します。

ご家族のみなさん
2009.10.31
ご挨拶に立つ ご家族のみなさん  左端が妻の由美子さん

集会には、ご遺族の高野由美さんとご長男、啓さんのお母さんとお姉さん、由美さんのお父さんも出席され、共に公務災害認定を喜び合いました。

会は、啓先生への黙祷が行われた後、楳林由美子代表世話人から開会のご挨拶がありました。
最初に「公務災害認定を実現する会」の総会が行われ、これまでの活動の報告と会計決算報告および、「実現する会は当初の目的を達成したので本日をもって解散する」ことが提案されました。
いずれの提案も拍手で確認され、高野先生の公務災害認定を実現した会の解散が決まりました。

引き続き勝利報告集会が行われ、冒頭、来賓として参加した「いの健センター」代表の真壁が紹介され、挨拶を要請されました。

私は「高野先生のご遺族とそれを支えて来られた『実現する会』の皆さんと、弁護団・医師の皆さんの強い支持があって勝利をものにすることが出来た」ということをお話しし、敬意と感謝の意を明らかにしました。
そして、「この間のみなさんの運動と闘いが、宮城の教職員の職場条件の改善への大きな力になっていることは間違いありません。
二度と啓先生のような犠牲者を作り出さない社会にするために、共に力を合わせてこれからも頑張りましょう」と話させてもらいました。

出席者の紹介がなされた後に、高野事案を担当した杉山茂雅弁護士と庄司捷彦弁護士と笠原英樹医師からそれぞれ、今回の闘いの意義と勝利の意味することについて話されました。

また、宮教組の斉藤重美委員長からお祝いのスピーチがあり、続いて元同僚の山田先生をはじめ、支部審査会の意見陳述を行った堀籠・横須賀・加藤の各先生から、口々に組合の大切さや職場の変化などに触れながら、闘ってよかったという感想が語られました。

石巻コカリナ合奏団の皆さんによる心温まる音色は、会場に勝利の喜びと和やかさをいっぱいにしてくれました。

最後に、この間の運動を支えてきた宮教組石巻支部役員の皆さんの紹介がなされ、「実現する会」から啓さんの妻の由美さんとお母さんへ花束が贈呈され、由美さんからは「衝撃を受けてから9年間にわたる長い間、支えていただき本当にありがとうございました」とのお礼の言葉がありました。

ともに闘った参加者からも暖かい拍手がわき起こりました。
出席者全員で記念写真を撮影し、予定した事は全て終了しましたが、改めてご遺族のみなさんや弁護団・医師、教職員組合その他の支援者の方々のご奮闘に敬意を表して報告とさせていただきます。

(働くもののいのちと健康を守る宮城県センター会長真壁完一)


高野先生の公務災害認定勝利報告会に参加し、奥様の由美さんに「おめでとうございます」と声をおかけましたが、心から手放しでは喜べない「おめでとう」を言ったのは生まれて初めてでした。

「こんなにご遺族や支援者の方々が苦労を重ね辛い思いをしながら頑張ったのだから、高野先生を元気な姿にして家族の所へ返してくれたら良いのに。

出来るなら高野先生が『ただいま』と笑顔で帰って来てくれたらいいのに」と、叶わない事だとは知りながらも心の中で叫んでいました。

高野先生の遺影を拝見し、お話しを聞くにつれ、どんなに待っても声を聞くことも元気に帰って来ることも叶わないことを実感しました。

「仕事が、家族から夫、父親、息子、兄弟を奪って許されるのだろうか、その上認定まで長い時間を費やし、家族にこれほど辛い苦しみや悲しみを何故なおも与えるのだろう?」と、やり切れない思いでいっぱいでした。

そして、こんな思いをするのは私達だけで終わらせてほしいと思ったし、二度と繰り返されることがないよう泣き寝入りしては駄目なんだと決意いたしました。

また、会に参加して思ったのは、高野さんのご遺族が多くの支援者の方々とのつながりと支えの中で闘い今日を迎えたことを知り、人の温もりや思いやりを感じ、改めて人のつながりって大事だなあと思った会でもありました。

そして、一人一人の人間は取り替えの効く歯車では無く、一つしか無い大切な命を持つ存在である事を世の中に知らしめ、安心して家族を送り出せる社会にするには、いの健センターの役割は大きく大切な存在であると確信しました。

以上が報告会に参加して感じた事ですが、当日は鼻血がでるほど泣いてしまいました。
どんなに待っても、うちのパパも帰っては来ないんだなと、正直言えば辛かったです。

でも高野さんの息子さんの「お父さんは間違っていなかったんだね」と言う言葉で救われました。
私の息子達も父親を誇りに生きて欲しいと、心から願わずにいられませんでした。

(塩釜市早坂百合江)

闘いを支えて下さったみなさん
闘いを支えて下さったみなさん
・お話ししているのは笠原英樹医師
・手前左は庄司捷彦弁護士、右は杉山茂雅弁護士

高野先生の勝利報告会はとても感動的なものでした。
弁護士の先生始め、支援する会の皆さんの強い思いにふれ、何度も涙がこぼれました。

これ程までに支えてくれる方々がいるって、すごいなあと思いました。
本当に素晴らしいチームワークだと思いました。

高野先生がどれ程までに悩み、苦しみ、どんな思いで「死」を選択しなければなかったのか。
人の命の重さをもっともっと考えてほしい・・・そんな思いがひとつになり、つかんだ勝利だと思います。

奥様の由美さん始め、皆様のご苦労は大変なものだったと思います。
本当にお疲れ様でした。本当に嬉しい限りです。

私の夫も高野先生と同じく、志半ばで教壇に立つことはなくなってしまいました。
夫を死に追いやった本当の原因を明らかにしたい、夫の無念は必ずや晴らしてあげなければならない、強く感じた1日でした。

なんとしても公務災害認定を受けることが出来るように、私も最後までがんばりたい。
高野由美さんから、そして闘いを支えて下さった多くのみなさま方から大きな勇気をいただいた勝利報告会でした。

(登米市大泉淳子)

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